初めてのマレーシア旅行――多様性の国で見つけた新しい自分

はじめての国を訪れるとき、誰もが少なからず不安と期待を抱くものです。特に東南アジアの国々は、日本とは文化や雰囲気が大きく異なるため、その土地に一歩足を踏み入れるだけで心が躍ります。今回、私は初めてマレーシアを訪れました。日本から約7時間のフライトで着くこの国には、想像以上の魅力が詰まっていました。多民族・多文化が共存するこの国では、ただ観光名所を巡るだけでは得られない、人との出会いや文化の深みを体験することができました。この記事では、私が実際に訪れた場所や感じたことを、リアルな視点で綴っていきます。

クアラルンプール到着、そして最初のカルチャーショック

成田からのフライトを経て、私が初めて足を踏み入れたのは首都・クアラルンプール。空港に降り立った瞬間に感じたのは、蒸し暑さと空気の濃さ、そして何よりも人々の多様性でした。マレー系、中華系、インド系が混在するこの国では、空港の中だけでも様々な言語が飛び交い、服装も実にカラフルです。ヒジャブをまとった女性の隣にTシャツ姿の若者がいて、その後ろにはサリーを着た女性が微笑んでいる――そんな風景は、これまでの旅行では見たことがないものでした。

タクシーに乗って市内中心部へと向かう道すがら、車窓から見える高層ビル群と熱帯植物の共存に驚きました。ペトロナスツインタワーやKLタワーといった近代建築が立ち並ぶ一方で、道端には屋台やイスラム風のモスク、ヒンドゥー教の寺院もちらほらと見えます。この異質なものたちが、まるで昔からそこにあるかのように調和している様子がとても印象的でした。

食文化に魅せられて――多国籍の味を一日で堪能

マレーシアに来たら、まず味わうべきはその食文化。マレー料理、中華料理、インド料理が交差し、時には融合することで生まれた独特の料理の数々には、舌が追いつかないほどの驚きがありました。

初日の夜、ローカルの友人に連れて行ってもらったのは屋台がひしめく「ジャラン・アロー」。ここでは、プラスチックのテーブルと椅子が道いっぱいに広げられ、地元の人も観光客も一緒に食事を楽しんでいます。私はナシレマッ(ココナッツミルクで炊いたご飯に、サンバルや揚げ小魚、ゆで卵などを添えたマレーシアの国民食)を注文しました。その濃厚な香りと辛味、そしてココナッツの甘みが絶妙に混ざり合った一品に、思わず顔がほころびました。

他にも、ホッケンミーやサテー、ロティ・チャナイなど、どれもが初めての味でありながら、どこか懐かしさを感じさせるものばかりでした。食事を通して感じたのは、文化が融合すると「多様性」ではなく「一体感」が生まれるということ。それはまさに、マレーシアという国そのものを表しているようでした。

移動の強い味方、配車アプリ「Grab」

クアラルンプールをはじめ、マレーシアの都市部ではタクシーよりも一般的に利用されているのが「Grab」という配車アプリです。日本でいうところのUberのようなサービスで、スマートフォンひとつで簡単に車を呼ぶことができ、料金も事前に表示されるため、ぼったくりの心配もありません。現地ではほとんどの人がGrabを日常的に使っており、旅行者にとっても非常に便利な移動手段となっています。

私も空港から市内へはタクシーを使いましたが、それ以降はほとんどGrabで移動しました。初めて使うときは少し不安でしたが、アプリは日本語設定が可能で、乗車場所も地図でピンを打てるため迷うことはありませんでした。支払いも現金、クレジットカード、電子マネーのいずれかを選べるので、状況に応じて柔軟に使えます。

特にありがたかったのは、暑い日中や突然のスコール時。タクシーを探して右往左往する必要がなく、アプリで車を呼べばすぐに冷房の効いた車が迎えに来てくれるという快適さは、旅行のストレスをぐっと減らしてくれました。

また、ドライバーの多くがフレンドリーで、英語も通じるので、ちょっとした会話を楽しむこともできます。おすすめのレストランを教えてもらったり、現地の事情を聞いたりと、Grabの利用は移動手段以上の価値を持っていると感じました。

バトゥ洞窟で感じた信仰の力

旅の二日目、私は郊外にあるバトゥ洞窟を訪れました。市内から電車で約30分というアクセスの良さも魅力ですが、何より圧倒されるのはそのスケールと色彩です。入口でまず目に入るのが、高さ42メートルにも及ぶ金色のムルガン神像。その巨大さと荘厳さに、誰もが足を止めることでしょう。

272段の階段を登る途中、カラフルに彩られた階段と、周囲に住み着いた猿たちの姿に癒されながらも、ヒンドゥー教徒たちの真剣な祈りの姿に心を打たれました。私たち観光客がカメラを構える中、彼らは神に語りかけるように祈り、花や果物を捧げていました。その姿は、観光地であることを忘れさせるほどに純粋で神聖でした。

バトゥ洞窟は、単なる観光地ではありません。異文化の中で「信じる」ということの力強さを感じることができる、貴重な場所だと思います。

街歩きの中で出会った人々の温かさ

観光地だけでなく、街を歩く中でも印象的だったのは、人々のフレンドリーさと優しさでした。迷っているとすぐに声をかけてくれる人が多く、英語が通じることもあって、コミュニケーションの不安はほとんど感じませんでした。

特に印象に残っているのは、チャイナタウンで出会った年配の女性。市場でフルーツを買おうとして迷っていた私に、丁寧に選び方を教えてくれただけでなく、試食までさせてくれました。その後も世間話が始まり、お互いの国の文化について語り合ったことは、何よりの思い出です。

旅行というのは、観光地の美しさだけでなく、人との出会いによってその価値が何倍にもなるもの。マレーシアの人々は、そのことを自然体で教えてくれたように思います。

まとめ:旅を終えて――「違い」があることの美しさ

旅の終盤、私は改めてマレーシアという国の不思議な魅力について考えました。イスラムの祈りの声がモスクから聞こえる一方で、仏教の香炉が街角で煙を上げ、インド系の音楽がレストランから流れてくる――このような風景が、争いではなく調和の中で存在していることに、深く感動しました。

「違い」があるからこそ、美しい。その違いを受け入れ、共存していく姿勢こそが、これからの世界に必要な価値観なのではないか。そんなことを考えながら、私は次の旅の計画を頭の中で描き始めていました。

マレーシアは、ただの観光地ではありませんでした。私にとっては、文化、食、人、信仰――その全てが「世界は広い」という当たり前の事実を、心から実感させてくれた場所だったのです。

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